ここ1年半くらい、「遊びたい」とか一切思わなったから遊ばないでいたんだけど、最近人恋しくなってきた。そしたら、孤独を感じる。友達と繋がっていたいと久し振りに思った。でも、今は物理的に無理だ。やらなきゃいけないことがたくさんある。自分で選んだことだから仕方ないけど今は誰になにを相談していいかわかんないや。それだけ報告しなきゃいけないひとも命令してくるひともいないから楽なんだけどさ。

もし、あの時、あーゆー経験をしてなかったら、
このことをどういう風に考えていたのかな。

経験が増えるということは、
それだけ、他人の気持ちが分かるようになるってことかも。
つまり、同じ経験をしたひとの気持ちが分かるってことだ。

だから、仙人のように達観しているあの人は
きっといろんな経験を、いろんな苦労をしているに違いない。

今回、わたしもすこしは、あのときの自分が誰かにしてほしかったことを
できたかな。

ぼんやりしていた。

今日はこの仕事もあと一週間かー、とぼんやりこの1年間ちょっとのことを思い返した。涙が出そうになった。
私は、自分自身で実験してみる。誰かと比べたり、何度も自分に問いかけたり、我慢したり、頑張ったり、休んだり、落ち込んだり、色々してみる。そんなことをしているのは、少しでも前に進みたいからなのだと思う。でも、なぜ前に進みたいのか分からないな、と思う。わたしにとっての「前」がどちらの方向なのかも分からないな、と思う。

進むとか考えてないよ、別に、って子に出会う。
そういうスタンスってみせかけなの?それとも本当に?
私っ馬鹿なのかなって思う。

でも気がつけば進もうとしていて、進めないときが苦しんでいるようだな、と思う。
そんで結局、「生きていくっていうのはこういうことなのかな」とポジティブにもネガティブにも思ったりしている。


いつか、幸せに辿りついた、と思える日がくるのかな。
或いは
諦めた、と思える日がくるのかな。

なんでいつも「途中」なのだろうかと思う。

久し振りにあとからズドーンとくるような嫌な人にあった。
ちょこちょこちょこちょこ自分の自慢をいれつつ、相手を馬鹿にしてる人。
私は、これもなにかの訓練に違いないと思い、背筋を正してその人の話を必死にきいているふりをした。帰り際に、その人が私に封筒をくれたので、「先生、ありがとうござます。」といって、別れてから封筒の中をみたら、2000円が入っていた。あれだけ自慢してたくせに2000円かよ。と思いつつ、この2000円が一番馬鹿にされた気がして、その一方、私にはその2000円に対して腹を立てるようなプライドも必要ないと思い、悩んだ挙句、ワンメータだけタクシーに乗ってみた。うーん。世の中はよくわからない。もっと勉強して頑張らないと。

人のセックスを笑うな」を観ました。やっぱり、美大生の生活というのは青春のキラーアイテムなのだと思いました(皮肉)。こういう映画を19歳ぐらいのときに観ていたら、おそらくマイフェイバリットにしていたのだと思います。こんな映画の中のような雰囲気が、空気が、いつか自分の生活にも努力次第で訪れるんじゃないかって信じていられたから。でも、現実はそんなのは来ません。私に限らずたいていの人間には来ないものです。だけど、信じることはいいことです。私はこの映画をみて、昔信じていたころの自分や周りを思い出して懐かしくなりました。そういう意味で自己投影はできたので楽しめました。

自分のこと守るので精一杯だった時期からは抜け出したけど、いろんな人とこうやって話して笑えてなにかできるまで自分がまともなのかまだ分からない。考えても仕方ないし。私はどこいっても一生なんか変なのかもしれないし。みんな変だと思うし。

高校1年生のころ、はじめてやったバイトはメガネ屋さんのビラ配りだった。ビラをお店の事務所にとりにいくたびに、事務所の壁に貼られた「怒りは大損」という文句が気になった。今のところ、あの言葉は、この世の真実のひとつだと思う。だけど、大損しても怒ってもいい時はある、と思う、っていうのは、私がまだ分かってない証拠?